- 2013年11月15日 11:07
Chapter 4-4
ケビンは、油井にかける言葉が見つからず、そのまま押し黙っている。見ず知らずの東洋人が、自分の国の言葉で暴言を吐いた事に怒りを覚えることはなかった。ただ単に、聞いてはいけない事を聞いてしまったのだという事実を受け入れる努力をしていた。
同じように隣で黙ったままでいる恋人の横顔を申し訳なさそうに見た。美央は神妙な顔で油井をじっと見上げている。油井の言葉にショックを受けている訳ではなく、冷静な表情の中に憐みとも同情とも取れる視線を油井に注いでいる。
油井の耳元では、塩沢がまだ大声で何かを喚き散らしている声が聞こえていたが、それをそのまま相手に伝える事は不可能だった。早口の英語である事に加え、ほとんどが呻き声や叫び声のようなもので、日本語も混ざってはいるものの、一体何をどう伝えればいいのか見当もつかない。塩沢の過去に関しては、油井が足を踏み入れるべき領域ではない事は承知していたし、それに加えて、塩沢の感情に引きずられて自分の体が床に沈んでいくような感覚に陥っていて、全てを投げ出したい気分になっていた。
店の客が何事かと油井たちを見ている事に気づいた。店の奥の店員も不安げに様子を窺っている。
油井は天井を見上げると、諦めたように耳からレシーバーを外し、それをテーブルの上に置いた。続けてイスに座りなおすと、テーブルの上のグラスを手に取り、中の水を一気に飲み干した。目の前のふたりは、この状況が理解出来ないのか、困惑顔で顔を見合わせている。
一息つくと、
「……失礼しました。今のは……、気にしないで下さい。本当に申し訳ありません。僕の相棒が何か失敗でもしたらしくて、思わず乱暴な言葉が口から出てしまった様でして……」
油井がふたりに頭を下げた。
美央の表情が険しくなった。
「What’s going on here? (何が起こっているんですか?)」
油井がレシーバーを指さした。
「……実は、僕は英語を話せません。別の場所で会話を聞いている相棒が言うセリフを、意味も分からずにオウム返しの様に口から出していただけなんです……。今のも『慣れ』というか、ついアイツの言った言葉が反射的に口から出てしまっただけで……。なので、あれはあなた達に向かって言ったワケではありません。―――本来ならその相棒が直接お相手をすればいい話なんですが、そうもいかない事情がありまして……。なので、僕が英語を話せるフリをして接客をしていた、というわけなんです。ウソをついていたみたいで、ホント申し訳ありません……」
額から大量の汗を流しながら説明を終えると、まだ手がつけられていないケビンのグラスを取って水をひと口飲んだ。そのグラスをケビンに返すと、怒られる事を覚悟した子供の様に、目をつむってこうべを垂れた。
だが、美央の関心は別の所にあった。
「……では、アメリカでイヤな体験をされたのは、あなたのパートナーなのですね?」
「え? い、いや、アイツが怒鳴ってたのは、事務所の人間に対してで、あなた達の話は関係ありません……よ、ホントに」
会話の内容が理解できないケビンは、小声で美央に説明を求めた。事情を把握したケビンが美央を通して質問をしてきた。
「そのパートナーの方に、『塩』という字が名前に付いていますか? 彼が『ソルト』というあだ名しか思い出せないというんです」
「はぁ? な、なんスか、それ? ウチの調査員にそんな名前のヤツはいないし、そのアメリカでの話は、まったくもってこっちには無関係ですってば!」
塩沢の名前まで持ち出してきた事に驚かされると、油井は思わずむきになって返答をしてしまった。その不自然さに気づくと、次はまるで外国人の様に肩をすくめ、<困った人たちだ>と言わんばかりに頭を振ってみせた。油井の反応はおかしくなる一方だった。
美央はそれ以上の追及を一旦止め、別の質問をした。
「調査員? もしかして、保険の調査員ですか? 不動産には全く関係の無いお仕事をされているんですか?」
油井ががっくりと肩を落とすと、再度ケビンの水を飲み干した。次々と隠し事が暴かれていく犯罪者の様な、妙な気分を味わっていた。
「同じビルの4階で探偵業を営んでおりまして、不動産はただのアルバイトでございます。しかしながら、アルバイトとはいえ、それなりの勉強はしておりますので、ご安心ください。―――っと、こんな感じで、ご納得していただけます?」
「探偵……、ですか?」
美央が目を丸くしながら、ケビンにその説明をした。ケビンもまた目を丸くしている。
「一応これでも、僕が事務所の所長です。で、海外留学の経験がある相棒……、いや、えー、そうそう、もし身元調査などの御用があれば、ぜひ上の階にもお立ち寄り下さい」
油井がぎこちない営業スマイルを見せた。
美央は一瞬思案顔になったが、すぐに油井を真っ直ぐに見つめると、姿勢を正して言った。
「最初にウソをついていたのは私です。あなたのついたウソは、私はウソとは呼びません。あなた達は、ふたりで協力して一緒にお仕事をしていただけ。隣にいるかいないかだけの違いです。でも、最初にそう言っておいてくれればよかったとは思いますけどね」
油井が、今までの憂鬱な気分が一気に晴れたかのような笑顔を見せた。
「いやー、そう言ってもらえると、気が楽になります。そうなんですよ。僕たちはチームなんです。何も難しく考える事はなかったんですよね。うーん、素晴らしい着眼点だ」
とは言いながらも、後で事務所に戻る時の事を考えると、油井の気持ちは一気に沈みがちになる。
「あの音楽を使って私のウソを認めさせたのも、そのパートナーさんのアイディアですか?」
美央が照れくさそうに聞いた。
「いや、それは自分です……。やっぱ、やりすぎでしたかね?」
「なら、よかった。アレはサイコーでした。気にしないで下さい。私はあなたが気に入っているんです。ぜひ、このまま物件探しにつき合って下さい」
顔を赤くしている油井を見て、美央が訂正した。
「―――なんか、ヘンな言い方をしちゃいました?」
そう言って美央が笑った。油井も照れ笑いをしながら、「いやいや、全然」と手を振った。ケビンは、目をパチクリとしながらふたりのやり取りを見ている。
と、そこへ揚げたてのとんかつが運ばれてきた。油井の意識が瞬時に食べ物に移動した。そのまま、その黄金色の衣に見とれている。
どうにか場が丸く収まったと思った瞬間、無くなっていた食欲が急に戻ってきた。そして、油井の腹が鳴った。その音を合図にして、3人は食事に取りかかった。
*
(Chapter 4-5へ つづく)