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2013年9月 Archive

アブソルート代々木上原探偵事務所 「アメリカの友人」 第7回 Chapter 2-3

  • Posted by: 高田
  • 2013年9月 2日 19:44

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Chapter2-3

 事務所の奥には人ひとりが立てるだけのスペースがあり、そこが給湯室兼トイレになっている。油井はそこに立ちながら、背広の内側に付けられている隠しマイクに向かって小声で話し始めた。話し相手は、探偵事務所のパートナーであり、唯一の調査員である塩沢だ。
「塩沢、聞こえてるか? 悪い。もう一回頼むことになりそうなんだが、いいか?」
 油井の顔には、「ウンザリ」といった嫌悪感が丸出した。
『俺は構わないが、本当に通訳が必要か? あの女性客の方、日本語を話せると思うんだが』
 4階の事務所にいる塩沢の声が、耳に取り付けた小型イヤフォンから聞こえてきた。
「なにー、マジかよ!」
 油井は思わず大声を出してしまった。
「つーか、なんで分かんだよ? あのふたり、コソコソと何か英語で話しでもしてたのか?」
『相手はお前が多少は英語を話せると思っているんだ。そんな話を目の前でするはずはないだろう』
 油井が「またか」といった風にうんざりとした顔で天井を見上げた。他意はないのだが、塩沢は油井の指摘を、「的外れ」としてストレートに粉砕する傾向が多々ある。
『一緒にいる外国人男性が、女性の行動に戸惑っている様子が聞こえてきた。あれは、予定していた事が狂った時に出る声のトーンだ。不動産屋に来て、予定と違う行為をとるなんて、そうそうあるものじゃない。メールは日本語で返信してきたんだろう? その際に英語対応が必要ならあらかじめ明記しておくだろうし、もし外国生まれでも、日本語には問題がないという表れのはずだ』
「じゃあ、なんで英語なんだよ。気取ってやがんのか?」
『店の前での騒動からして、勝気で多少好戦的な性格なのかもしれないな。それに、海外には『礼金』という概念は無いし、日本語での回りくどい交渉より、英語の方がストレートで性にあっているからか。もしくは何かしら彼女を怒らせる要素が、事務所側か、お前の方にあったのかもしれないな』
「なんだよそれ。んなわけねーだろ! ただ単に、英語が話せない奴をバカにしてんだろ? ここに来るガイジン客は礼儀正しいヤツばっかで、あんな対応をするヤツに初めて会ったぜ。それによ、日本語を話せない入居者は大家に面倒がられるって、知らねーのかよ。アホくせー。いい加減こんな仕事から解放してほしいぜ」
 油井の声は抑えようとしながらも、徐々に大きくなっていく。
『油井、外に聞こえるぞ』
油井が大きなため息をついた。
『それに、本業の仕事が増えない限り、辞めるのは無理だな』
「……」
 塩沢の淡々とした物言いに反論する気もおきず、油井は目を閉じて腕組をした。

(Chapter2-4 へつづく)

アブソルート代々木上原探偵事務所 「アメリカの友人」 第8回 Chapter 2-4

  • Posted by: 高田
  • 2013年9月 4日 21:20

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Chapter2-4

 「探偵事務所」の看板をだせない探偵事務所に、飛び込みの依頼が入る事はない。その代わりに、インターネットをメインとした宣伝活動を行う事でその穴を補おうとしたが、大手の探偵事務所の宣伝力に叶うはずもなかった。赤字続きの現状には故意に目を塞ぎ、ネットのショッピングサイト内の欲しい物リストの数ばかりが日々増えていく。しかし、その未購入の品物たちに囲まれる生活の妄想が膨らむばかりで、油井の欲求不満はたまっていく一方だ。
 そもそも、「大手町の企業からの身元調査依頼」というのは、町内会の老人たちを説得するために作ったでまかせで、実はそのようなコネは持っていない。基本的には、仕事のノウハウを盗むために短期間務めていた大手探偵事務所から、恥を忍んで仕事を回してもらっている。それ以外にも、代々木上原駅前の派出所に勤める知り合いの警察官から小さな依頼を受けたりしているが、それでも安定した収入源とはならず、その結果として家賃滞納の常習犯となり、不動産会社の社長から交換条件として提示されたのが、この「英語を話せる社員の役」をするという仕事だった。
 その他にも、代々木上原周辺在住および町にやって来る有名人のプライベート写真を撮って、知り合いの「情報屋」を通じて、写真週刊誌に買い取って貰ったりしてもいる。撮られた側には全く気付かれる事はなく、かなりきわどい写真を撮る事も出来る。これもひとえにパートナーの塩沢が持つ特殊能力のなせる技なのだが、塩沢自身は全く乗り気ではない。
 これらの副業によって収入も増えたこともあり、トイレ付の4階の部屋も合わせて借りられる身分にはなったが、いまだに収入が不安定である事には変わりがなく、1階の社長に仕事を頼まれるとイヤとは言えない関係が出来てしまっていた。
 探偵事務所の唯一の調査員である塩沢は、アメリカに長年住んでいた経験があり、英語を話す事が出来る。そのことを知った社長が塩沢を助っ人社員として雇おうとしたのだが、油井を通じて一度断られた経緯がある。塩沢は人前に出ることを極端に嫌う性質があり、同じビルにいる社長ですら塩沢を見た事は一度もなく、どんな風貌なのかも知らない。
 当初、家賃滞納は油井自身の問題だという事で、塩沢は我関せずという態度でいたが、油井にしつこく懇願されてしかたなく協力することになった。こうして、宝の持ち腐れとなっていた小型マイクと米国シークレットサービス風のチューブ付きイヤフォンを使っての、二人羽織的な「英語を話す社員」が誕生したのだった。
 接客業という事もあり、イヤフォンが隠れるように、油井は耳まで隠れる長髪のかつらを被っているが、かなり見苦しい風貌になってしまっている。接客の観点からは逆効果といえなくもいないが、今まで会ってきた外国人客は気にしていないようだった。
 やり方は、日本人相手の接客と変わることはない。初めてのお客であれば、希望の条件などをヒヤリングして、その条件に合う物件情報を見てもらい、内見を希望すれば一緒に見に行く。外国人客の場合は、大概あらかじめ送ってある物件情報を来店時に再確認してもらい、その中から興味のある物件を一緒に見に行く。
 会話中は相手の話に頷きながら、油井が「イェヤー(Yeah)、アーハッ(Uh-huh)、アイスィー(I see)、ライト(Right)」などの相槌を織り交ぜながら聞いているふりをする。すると、話の内容を聞いた塩沢がゆっくりと返答する言葉を油井に英語で伝え、それを油井がオウム返しの様に相手に伝える。相手に伝わっていない場合、油井がひとつ咳払いをすると、塩沢が同じセリフをリピートするか、さらに簡単な表現に変えて伝えなおすという仕組みだ。
 1階の社長は、この「二人羽織」の事は承知している。が、あまり細かい事にこだわらない性格らしく、「バレなきゃいいですよ。でも、お二人にこの仕事を勉強してもらう事になりますけどね」とあっさり了承してくれた。そもそも単独で来店する外国人客がほとんどいない。1人で店に入って来る外国人客は、大抵すでに日本語が堪能だったり、まだ話せない場合は、日本語を話せる友人を連れてきたりするので、あまり油井の出番はなかった。
 楽をして生きる事を第一義としている油井にとって、今回の様な「日本語を話せないふりをする外国人客」というのは初めての事ではあるが、面食らうよりも先に厄介事を持ちこんできた不届き者にしか見えない。ただでさえ嫌々仕事をしている所に、意味のわからない行動を取る客の存在が、油井のイライラを膨れ上がらせている。

 カチャカチャとティーカップをスプーンでかき混ぜている音がマイクから聞こえてきた。
「呑気にミルクティーなんか作ってる場合かよ」
 油井が天井を睨みつけた。
 油井のキツイ口調を気にする様子もなく、塩沢が言った。
『ドアの隙間から、今の二人の様子を見てくれ』
「はぁ? なんでだよ?」
『現状を把握するため』
 油井は不満そうにしながらも、言われた通りにそっと室内の様子を窺った。ケビンと美央はバツが悪そうに黙って座っており、社長、社員を含め、誰も会話をしていない。店内にはソフトな洋楽が流れているのみだ。社長は、客の態度の変化に戸惑いながら、油井がいる給湯室の方角を「まだかまだか」と見つめている。
 油井が、再びドアをそっと閉めると、
「……なんか、あの女、さっきほどは元気なさそうだな。いや、どっちかっていうと、ションボリ、って感じか?」
『なるほど』
「『なるほど』ってどういう意味だよ?」
『意外にも彼氏に注意でもされたかな。どうだ、彼女、反省しているように見えないか?』
「さぁな。どうでもいいよ。何であれ、俺はこの仕事を早く、楽に、終わらせたいだけだ」
『じゃあ、どうする? 日本語を話すよう仕向けてお役御免となるか、このまま英語で接客をするか。俺はどちらでも構わないが』
「チッ、どっちもかったりーなぁ。―――まぁ、『昼飯』は確保したんだし、あきらめて仕事するか……。じゃ、ヨロピクー……」
 力なく給湯室から出ていこうとする油井の耳元に、『もしあっちが日本語でしゃべりだしても、こっちはわざと英語で続けてみるか?』と、塩沢がめずらしく冗談を言った。
「……いや」
 油井の目に突然いやらしい光が宿り始めた。
「俺にイイ考えがある。何かあればいつもの様に咳払いをする。いいな?」
 そういうと、油井は満面の笑みを浮かべながら事務所内へ戻って行った。

(Chapter3-1 へつづく)

アブソルート代々木上原探偵事務所 「アメリカの友人」 第9回 Chapter 3-1

  • Posted by: 高田
  • 2013年9月16日 11:41

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Capter3-1

「では、お車でご案内しますので、どうぞこちらへ」
 男性社員がケビンと美央に声をかけると、
「お願いします」
 と、美央が日本語で答えた。急に日本語を使い始めたことに対して、悪びれた様子は全くない。
 美央が油井を見て小さくほほ笑んだ。油井を見る目から嫌悪感が消えていた。デスク越しに美央とケビンを見つめる油井の顔にも、ホッとしたような笑みが浮かんでいる。ただなぜか、油井はイヤフォンを隠すかつらを被っていなければ、そのイヤフォンも外してしまっていた。
 男性社員に手を上げて合図をすると、ケビンが油井のもとへ来て手を握った。
「Thanks for your help. And sorry about what happened earlier.(色々と有難うございました。さっきの事は本当に申し訳ありませんでした)」
「イッツ・オーケー。(気にしないで下さい)」
 数秒の間を空けてから、油井が答えた。塩沢からの助けなしで答える際に、便利に使っている簡単な英語のセリフだ。前の文脈に照らし合わせて、色々と意味を変えてくれる。
 ケビンに続いて美央も油井の前までやって来ると、
「さっきのアレ、サイコーでした。今思い返してもまだ笑えますもの」
 と、1時間半前とは別人のようなフレンドリーさで、油井の手を取った。
 油井は、嬉しいのか嬉しくないのか判断のつかない微妙な笑みを浮かべている。
「たぶんご近所さんになると思うので、今後ともよろしくお願いしますね」
「オーケイ、です」
 油井はどこかアンニュイな表情を残しつつも、いつものクセでキザなポーズを決めながら片手を上げた。
 美央がケビンを促してから出口へ向かって歩き始めた。が、すぐに油井を振り返り、
「あと、上にいるパートナーさんにもよろしくお伝え下さい」
 と、意味ありげな視線を油井に投げてからから店を後にした。
 強張った笑みを浮かべながら、油井が小さく頭を下げた。
「いってらっしゃいませー」
 美央達が店から出ていくと、油井の隣に立っている社長の顔から営業用スマイルが消えた。無表情のまま油井の横顔を見る。
「油井さん、バレちゃったんですか?」
「……いや、ちょっと、まぁ……、ハイ……」
「とりあえず、ご苦労様でした」
 社長が油井の肩に、ポンと手を載せた。
「で、いつバレたのかは知りませんけど、お客さん、気分を害してませんでした、よね? まぁ、怒ってはいなかったので、大丈夫だとは思いますけど。今回の様な事が頻繁に起こると、店の信用にかかわりますんで。念のため、塩沢さんに再度事務所にお越しいただけるよう説得していただけません? 」
「……それは、無理だと思いますよ、絶対に。アイツは、そもそも接客は出来ない人間なんで……」
「……」
 社長は油井の話を聞いているのかいないのか、眠そうな目で油井を見ている。
「わかりました。では、次回からは気をつけて下さいね。お弁当は、次回でもいいですよね?」
「はい……」
 多少バツが悪そうな小さな声で油井が答えた。
「お疲れ様でした」
 油井は席に戻って行く社長の背中を見つめながら、ここ1時間半の間に起こった様々な出来事を思い返していた。

*

 塩沢と相談をして給湯室から出てきた油井は、「ウソつき」の美央を懲らしめてやろうと意気込んで出てきた。が、すぐには席に戻らず、店の奥にあるオーディオをいじくり始めた。普段からiPodを使用して店内に音楽を流しているのだが、セットリストを覚えていた油井は、その中からお目当ての曲を見つけると、普段の3倍のボリュームでその曲をかけ始めた。
 曲は、ビリー・ジョエルの「オネスティ」だった。
 油井は、曲のサビの部分が来るまでその場で待ち続けた。事務所内の全員が不思議そうに油井を見つめていた。
 曲のサビの部分がやって来た。すると、油井はオペラ歌手の様に大仰な動きをつけながら美央を指さし、口パクをしながら前へ進んで行く。

 …Honesty is such a lonely word.
 Everyone is so untrue.
 Honesty is hardly ever heard.
 And mostly what I need from you.
 (「正直さ」。なんて淋しい言葉なんだろう。
 みんなが本当に不実なのだから。
 「誠実さ」なんて、もうほとんど聞く事もなくなった。
 でも、それこそが、僕が君から欲しい物なんだよ。)

 油井が席の前まで来ると、呆気にとられていた美央とケビンが顔を見合わせた。油井は「どうだ!」と言わんばかりの自信に満ちた表情で、美央に手を差し伸べている。それは「誠実ではない」美央をダンスに誘っているように見えた。全てが滑稽なほど芝居がかっていた。
 美央を見つめるケビンの表情は、完全に凍りついていた。美央のウソが油井にはバレていたという事実に困惑し、どう切り出すべきか必死に考えていた。
 美央は感情を堪えるかのように、グッと息を殺していて、今にも泣きそうな表情をしている。
<勝った!>
 油井が内心で勝利宣言を上げた直後、美央がプッと噴き出して大笑いした。

(Chapter3-2 へつづく)

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ビリー・ジョエル「オネスティ」収録のアルバムです。素晴らしい曲です。ちなみに歌詞の対訳は、自己流なので、一般に出回っているいる物とは多少違います。

アブソルート代々木上原探偵事務所 「アメリカの友人」 第10回 Chapter 3-2

  • Posted by: 高田
  • 2013年9月24日 11:07

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Chapter3-2

 美央の豪快な笑い方に油井が眉をしかめると、慌ててケビンが美央の体をゆすって止めさせようとした。しかし、どうやらツボに入ってしまったらしい。美央は、止めたくても止められないというように、ケビンの体に抱きついてヒィヒィと苦しそうに笑いつづけている。
 油井は奇妙な敗北感に身を浸しながら、美央に差し出した手をすごすごと引っこめた。
 油井を勘違いさせた美央の「泣きそうな表情」は、単に笑っては悪いと必死に我慢していたためのものらしい。
 油井に「ちょっと待って」というジェスチャーを見せると、美央は大きく深呼吸をしながら息を整え始めた。
「I’m, I’m sorry. I didn’t mean to laugh, but… Well, come on! It was funny as hell, so don’t blame me! OK?(ごめん、ごめんなさい! 笑うつもりはなかったのよ……。でも、仕方ないと思わない? ホンットに面白かったんだから。私を責めないでよね!)」
 困惑しながら美央を見つめている油井の耳に、塩沢の声が聞こえてきた。
『お前がどんな動きを見せたのか知らないが、死ぬほど笑えたらしいぞ』
 笑われていた事は明白だったが、塩沢の一言で油井の全身から汗が噴き出し始めた。
 ケビンは油井に何かを言いかけていたが、どうやら言葉が出こないらしい。油井と美央を交互に見ながら困り果てている。そんなケビンをひと睨みすると、大きな咳払いをひとつして、美央が改めて油井を見た。
「笑ってしまって、ごめんなさい。―――それから、日本語が話せないフリをした事、謝ります。申し訳ありませんでした」
 油井は顔を強張らせたまま無反応でいるが、背後に立っている社長は、緊張が解けてホッとした表情を見せた。
「悪気はなかったんです。ただ、私の悪い癖で、『ガイジン』を見てイヤな顔をする日本人って、piss me off、いえ、なんか腹が立っちゃって……。あなたは英語を話せるみたいだし、その手の人達とは違うはずですよね? お店の前でイライラさせられる出来事があったばかりで、その時の感情を引きずっていた私が悪かったんです。ごめんなさい」
 美央の謝罪に多少は気を良くしたのか、油井の気持ちに余裕が出てきた。
「いや、まぁー、私も大人げなかったかもしれません。あんなやり方で自白を強要させてしまったみたいで……」
「いえいえ、アナタのあの切り返し方、サイコーでした。私の完全な負けです」
「サ、サンキュー……」
 褒められる経験が少ない油井は、ストレートに自分を認める美央から思わす目を逸らして、赤かった顔をさらに赤くさせた。
「じゃあー、日本語での接客は彼に任せて、内見する物件を決めましょうか」
 場が和んで来たタイミングを見計らって、社長がもう一人の男性社員に引き継ごうとした。すると、美央が少し不服そうな表情で、
「私、アメリカでの生活の方が長くて、油断するとつい英語が出てきてしまうんです。それに隣の彼は、まだあまり日本語が分かりません。英語と日本語を交えての話し合いか、もしくは英語のみでの会話の方が手間が省けます。この方に話を聞いていただく方が、色々と都合がいいと思うんですけど、他に約束でもあるんですか?」
「えーっと……」
 社長と油井が顔を見合わせた。油井の目は「ノー」と言っている。が、社長はそれを無視して美央に愛想笑いをした。
「はい。彼には別の予約が入っていますので、内見する物件を選ぶまでは油井にサポートさせていただいて、内見は別の者に任せる、ということでもよろしいですか?」
「ええ、分かりました。それで構いません」
 美央は「仕方ないわね」という表情を隠さずに、肩をすくめながら返事をした。
「社長、ちょっと話が……」
 油井が社長を店の奥へ連れて行こうとした。社長は油井を見ることなく、ドアの外を見つめながらポツリと言った。
「ヒレかつ弁当、頼んでおきましょうか。私は『竹』にしますが、油井さんは?」
 油井の足が止まった。
「……『松』で、お願いします」
 美央とケビンを振り返った油井の顔に営業スマイルが戻っていた。接客モードに切り替わると、ひとつ咳払いをして、
「ではあらためて、よろしくお願いします」
 と、席に着こうとした。
 そこへ、油井と社長の話に耳を傾けていた美央が、ふいの二人に向かって質問した。
「先程から、お弁当の話をされていますよね。そのお店、そんなにおいしいんですか?」
 イスに腰掛けようと中腰で固まったまま、油井が社長を振り返った。
「ええ、おいしいです、よね?」
 返答をしながら、社長が油井に問いかけた。
「味と値段のバランスがいい、と思います。まぁ、私はお弁当が中心なので、お店で出来たてを食べるともっとおいしいんですけどね……」
「じゃあ、そこで食事しながらお話しましょうよ。私達もお昼ご飯まだなので。ご一緒に、どうですか?」
 美央が油井に向かってニッコリとほほ笑んだ。

(Chapter4-1 へつづく)

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