- 2013年9月 4日 21:20
Chapter2-4
「探偵事務所」の看板をだせない探偵事務所に、飛び込みの依頼が入る事はない。その代わりに、インターネットをメインとした宣伝活動を行う事でその穴を補おうとしたが、大手の探偵事務所の宣伝力に叶うはずもなかった。赤字続きの現状には故意に目を塞ぎ、ネットのショッピングサイト内の欲しい物リストの数ばかりが日々増えていく。しかし、その未購入の品物たちに囲まれる生活の妄想が膨らむばかりで、油井の欲求不満はたまっていく一方だ。
そもそも、「大手町の企業からの身元調査依頼」というのは、町内会の老人たちを説得するために作ったでまかせで、実はそのようなコネは持っていない。基本的には、仕事のノウハウを盗むために短期間務めていた大手探偵事務所から、恥を忍んで仕事を回してもらっている。それ以外にも、代々木上原駅前の派出所に勤める知り合いの警察官から小さな依頼を受けたりしているが、それでも安定した収入源とはならず、その結果として家賃滞納の常習犯となり、不動産会社の社長から交換条件として提示されたのが、この「英語を話せる社員の役」をするという仕事だった。
その他にも、代々木上原周辺在住および町にやって来る有名人のプライベート写真を撮って、知り合いの「情報屋」を通じて、写真週刊誌に買い取って貰ったりしてもいる。撮られた側には全く気付かれる事はなく、かなりきわどい写真を撮る事も出来る。これもひとえにパートナーの塩沢が持つ特殊能力のなせる技なのだが、塩沢自身は全く乗り気ではない。
これらの副業によって収入も増えたこともあり、トイレ付の4階の部屋も合わせて借りられる身分にはなったが、いまだに収入が不安定である事には変わりがなく、1階の社長に仕事を頼まれるとイヤとは言えない関係が出来てしまっていた。
探偵事務所の唯一の調査員である塩沢は、アメリカに長年住んでいた経験があり、英語を話す事が出来る。そのことを知った社長が塩沢を助っ人社員として雇おうとしたのだが、油井を通じて一度断られた経緯がある。塩沢は人前に出ることを極端に嫌う性質があり、同じビルにいる社長ですら塩沢を見た事は一度もなく、どんな風貌なのかも知らない。
当初、家賃滞納は油井自身の問題だという事で、塩沢は我関せずという態度でいたが、油井にしつこく懇願されてしかたなく協力することになった。こうして、宝の持ち腐れとなっていた小型マイクと米国シークレットサービス風のチューブ付きイヤフォンを使っての、二人羽織的な「英語を話す社員」が誕生したのだった。
接客業という事もあり、イヤフォンが隠れるように、油井は耳まで隠れる長髪のかつらを被っているが、かなり見苦しい風貌になってしまっている。接客の観点からは逆効果といえなくもいないが、今まで会ってきた外国人客は気にしていないようだった。
やり方は、日本人相手の接客と変わることはない。初めてのお客であれば、希望の条件などをヒヤリングして、その条件に合う物件情報を見てもらい、内見を希望すれば一緒に見に行く。外国人客の場合は、大概あらかじめ送ってある物件情報を来店時に再確認してもらい、その中から興味のある物件を一緒に見に行く。
会話中は相手の話に頷きながら、油井が「イェヤー(Yeah)、アーハッ(Uh-huh)、アイスィー(I see)、ライト(Right)」などの相槌を織り交ぜながら聞いているふりをする。すると、話の内容を聞いた塩沢がゆっくりと返答する言葉を油井に英語で伝え、それを油井がオウム返しの様に相手に伝える。相手に伝わっていない場合、油井がひとつ咳払いをすると、塩沢が同じセリフをリピートするか、さらに簡単な表現に変えて伝えなおすという仕組みだ。
1階の社長は、この「二人羽織」の事は承知している。が、あまり細かい事にこだわらない性格らしく、「バレなきゃいいですよ。でも、お二人にこの仕事を勉強してもらう事になりますけどね」とあっさり了承してくれた。そもそも単独で来店する外国人客がほとんどいない。1人で店に入って来る外国人客は、大抵すでに日本語が堪能だったり、まだ話せない場合は、日本語を話せる友人を連れてきたりするので、あまり油井の出番はなかった。
楽をして生きる事を第一義としている油井にとって、今回の様な「日本語を話せないふりをする外国人客」というのは初めての事ではあるが、面食らうよりも先に厄介事を持ちこんできた不届き者にしか見えない。ただでさえ嫌々仕事をしている所に、意味のわからない行動を取る客の存在が、油井のイライラを膨れ上がらせている。
カチャカチャとティーカップをスプーンでかき混ぜている音がマイクから聞こえてきた。
「呑気にミルクティーなんか作ってる場合かよ」
油井が天井を睨みつけた。
油井のキツイ口調を気にする様子もなく、塩沢が言った。
『ドアの隙間から、今の二人の様子を見てくれ』
「はぁ? なんでだよ?」
『現状を把握するため』
油井は不満そうにしながらも、言われた通りにそっと室内の様子を窺った。ケビンと美央はバツが悪そうに黙って座っており、社長、社員を含め、誰も会話をしていない。店内にはソフトな洋楽が流れているのみだ。社長は、客の態度の変化に戸惑いながら、油井がいる給湯室の方角を「まだかまだか」と見つめている。
油井が、再びドアをそっと閉めると、
「……なんか、あの女、さっきほどは元気なさそうだな。いや、どっちかっていうと、ションボリ、って感じか?」
『なるほど』
「『なるほど』ってどういう意味だよ?」
『意外にも彼氏に注意でもされたかな。どうだ、彼女、反省しているように見えないか?』
「さぁな。どうでもいいよ。何であれ、俺はこの仕事を早く、楽に、終わらせたいだけだ」
『じゃあ、どうする? 日本語を話すよう仕向けてお役御免となるか、このまま英語で接客をするか。俺はどちらでも構わないが』
「チッ、どっちもかったりーなぁ。―――まぁ、『昼飯』は確保したんだし、あきらめて仕事するか……。じゃ、ヨロピクー……」
力なく給湯室から出ていこうとする油井の耳元に、『もしあっちが日本語でしゃべりだしても、こっちはわざと英語で続けてみるか?』と、塩沢がめずらしく冗談を言った。
「……いや」
油井の目に突然いやらしい光が宿り始めた。
「俺にイイ考えがある。何かあればいつもの様に咳払いをする。いいな?」
そういうと、油井は満面の笑みを浮かべながら事務所内へ戻って行った。
(Chapter3-1 へつづく)