- 2013年7月 8日 00:58
Chapter1-2
本国アメリカでは大学を卒業したという事以外に、男には特に目立った所がなく、うだつが上がらない人間と周囲から見られていた。まともな仕事に就くことなく、パートタイムのセールスマンやレストランのウェイター、ピザのデリバリーボーイなどをして日銭を稼いでいた。母親はアメリカの低迷している経済状況による就職難のためで、息子のせいではないと庇っていたが、父親は大学まで出て職にありつけない息子をふがいないと感じていた。
子供を大学まで出すとなると、学費ローンはもちろんの事、経済的負担はそれなりに掛かる。父親は自分たちの暮らしを平均的なミドルクラスと言ってはばからないが、それは多分に思い込みや見栄の要素が強く、それでもひいき目で「中の下」と男はランク付けをしている。学費ローンの返済に追われていると、親の見栄で大学に入ったのかと錯覚を起こす事もある。しかし、その境遇を跳ね返すかのような努力家の弟がいて、大学卒業前に大手IT企業への就職を決めたために、父親の男に対する評価は下がる一方だった。
男自身も、大卒でも仕事が見つからないのはあまりにも普通すぎるGPAのスコアが原因なのか、それとも不況による就職口の減少のためなのか分からなかった。だが、口にこそ出さないが、大学時代に起こした暴力事件が関係しているのかもしれいと、内心では思っている。父親との関係が悪化したのも、その事件がきっかけなのは明白だった。
マサチューセッツ州のボストン大学を卒業すると、同じ大学の卒業生というだけで力を貸してくれる卒業生のコネクションを頼りに、マサチューセッツ州はもとより、近隣のニューヨーク州、コネチカット州などのオフィスで働くチャンスを得た。しかし、仕事と言ってもコピー取りや郵便の仕分けなどの雑用ばかりで、上の職へ引き上げてもらえる機会には恵まれなかった。大学時代に別れた彼女の父親が、背後で手を回しているのかと疑ってみたりもしたが、それが事実だとしても文句を言える立場ではなかった。
腐った気持ちを抱えながら地元へ帰ると、偶然大学時代に知り合った日本人留学生と再会する機会があった。彼は日本人留学生を大学などへ紹介し、現地まで引率するビジネスをしていた。男が自分の境遇を話すと、彼はビデオチャットを利用した、外国人向け英会話教室の話し相手になるというアルバイトを紹介した。
ボストン大学で多くの留学生を見たが、中でも男の日本人に対する印象は良好だった。中にはドラッグにハマって退学してしまう日本人留学生もいたが、それはほんの一部で、彼らの礼儀正しさや親切心には常に感心させられていたものだ。そしてその印象は、英会話のアルバイトを通しても変わることがなく、さらに良くなる一方だった。二年半のアルバイト経験を通して、日本人や日本の文化への興味が強くなっていくと、ついには日本行きを決意し、実行したのだった。
代々木上原駅から少し離れた場所にある、青い壁とガラス張りのビルの一階にある小さな不動産業の前に着くと、女が言った。
「Here we are.(ここよ)」
大きな黒いサングラスの向うの目は見えないが、形の良い唇の端が上げて、男を安心させる気遣いを見せた。
内見を希望する物件の一覧はすでに送付済みで、今日は五件ほど見る予定だ。そして可能ならば本日中にでも申し込みを入れるつもりでいる。さもなければ、明日のデートを取りやめて、再度物件探しを続けなければならない。明後日には一旦名古屋へ戻って、引越しの手配や準備をすることになっていた。
女の笑顔に自分も笑顔で返したが、自分から同棲する事を提案した後は全てを彼女にまかせっきりで、今では立場が逆転してしまっていることに苦笑いをしそうになった。日常的に日本語を使う機会が少なく、彼女との会話も英語なために、男はまだ片言の日本語しか話せない。英語を教えていると、お返しに日本語を教えてくれようとする生徒も多くいるのだが、日本語は難しすぎると感じていて、いつも遠慮してしまう。子供たちがふざけて教えた「ガラの悪い」言葉なら、二三は覚えているが。
「Hey Mio. Do they speak English?(美央、彼らは英語を話せるのかい?)」
「I don’t know. Why, Kevin? Do you wanna give them an English lesson? Or you think I’d give them a hard time, talking in English?(分からないけど、なんでケビン?ここの人たちに英語のクラスでも開きたいの?それとも、私が英語を話して彼らをイジメルとでも思うの?)」
「Well, just checking…(いや、ただの確認だよ……)」
「I was just kidding. I will talk to them in Japanese. So you just sit there. Don’t you worry a thing, Alright? (冗談よ。日本語で話すわ。だからあなたはただ座ってるだけでいいわ。後は任せておいて)」
男、ケビンは安堵しながら「Yeah, I know.(ああ、分かってるよ)」と笑顔で答えた。
女、美央は海外生活が長かったためか、日本語を話すのが面倒になる事があるらしい。それ以外にも、「これは性分だから仕方がない」と言われ、あまり口出しをしないでいるが、彼女にはひとつ困った性癖があった。ある種の日本人に遭遇すると、必ずと言っていいほど英語で捲くし立てるのだ。
今日は大丈夫だろうと安心しながら、ケビンはガラス越しに店内を覗き込んだ。
(Chapter1-3 へつづく)