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アブソルート代々木上原探偵事務所 「犯罪の無い町の小さな犯罪」 第6回 Chapter 2-2

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Chapter 2-2

 鏡の中の塩沢に向かって、油井は似合わないウインクをした。まるで自分の相棒がそこにしか存在していないかのような態度であり、それがすでに習慣と化しているようでもある。
 塩沢はひょろりとした背の高い痩せた男だ。ハンサムの範疇には入る顔立ちだし、良く言えばモデル体型なのだが、覇気の無い「もやし男」と言えなくもない。誰に見せるのか、プレスの利いた細身のスーツに身を包んでいる。
 鏡に中で2人の目が合うと、塩沢が口を開いた。
「『探偵』の仕事はきてないのか」
「春は浮気の季節といいますが、どうもウチには縁がないようで、あいスミマセンねぇ」
 油井のふざけた物言いに冷めた視線を向けると、塩沢は無言のまま一人掛けのソファに腰を下ろした。
「ウチには『透明人間』の調査員がいまーす。どんな事件もすぐ解決ですよーって、宣伝出来れば、話は別だがな。まぁ、もうしばらくの辛抱だ。ウチの腕がいいのは確かだし、それが口コミで伝わるようになれば『普通」の仕事も増えるからさ。な? OK?」
「……」
 油井は、鏡の中で冷ややかな視線を向けている塩沢に、もうひとつウインクをすると、スマートフォンをいじくり始めた。デスクから離れはしたものの、芸能人のブログやツイッターなどをチェックすることが止められないらしい。
 塩沢は自分の中に湧き上がってくる感情に戸惑っているのか、抑えようとしているのか、口元に現れる不満のしるしが、出たり消えたりを繰り返している。
「『透明人間』に不可能はないからな。読者が驚くような写真を撮ってきてくれよ。で、さっさと現金に変えて、また『まんぷく』でたらふく焼き肉を食おうぜ」
 わずかだが、塩沢がムッとした表情を見せた。
「俺は『透明人間』じゃない。その呼び方はやめてくれ。他人が俺のことを認識しない、いや認識出来ないだけだ。服も着てるし、食べ物が透けて見えたりもしない。俺のことは見えているはずなのに、見えていないと錯覚を起こしているんだ……。俺は……」
 油井は鏡に一瞥をくれると、コーヒーテーブルに置かれた客人用のミントキャンディーをひとつ取り、口に放り込んだ。
「鏡がなきゃ、誰もお前を見つけられないんだ。似たようなもんだろ」
 塩沢は何かを言い返そうとしたが、結局何も言わずに鏡の中の自分を見つめた。<好きでこんな体になったんじゃない>と言おうとした自分を恥じていた。この世から消えてなくなってしまいたいと願ったのは自分なのだ。そして、その願いが奇妙な形で実現してしまった。
「今夜から張り込みを頼むぞ。今のところ顔を出した事があるバーは2軒だ。どちらも、一見さんは入りづらい店だが、お前なら隙を見て入れるだろう。それに、誰が最初に響子ちゃんを店に連れて行ったのかも知りたい」
 塩沢が怪訝そうな目を油井に向けた。
「室田さんが響子ちゃんの名前を出すまで、店のマスターはその事実に全く気がついていなかったらしい。顔色こそ変わったが、マスターは知らぬ存ぜぬで通したそうだ。未成年者に酒を提供したと知れたら大変だからな。だが、その連れが分かれば情報も売れる。一石二鳥だろ」
「そのマスターに迷惑がかかるんじゃないのか」
 塩沢の口調も表情もすでに普段通りで、感情があまり読み取れない。
「いや、表沙汰になる前に、かならずどこかで『手打ち』になるって。俺たちは情報を売るだけでいいんだからさ。今金欠なんだよ。今回だけもうちょい儲けようぜ。な?」
「この前の仕事の報酬はどうしたんだ」
「はぁ? なんだっけ、それ」
「前の事務所の同僚がまわしてくれた浮気調査」
 油井がワザとらしくため息をつく。
「お前ねぇ。たった一日、それも1、2時間で証拠写真をあげてくるんじゃ、報酬なんてたかが知れてるだろうが。腕が良すぎるのも困るんだよ、ホントはさ。かといって、終わってないフリをして日数を稼ぐのも気が引けるしさぁ。お前が俺の事どう思っているか知らないよ。でも、俺にも良心はあるんだからな」
「報酬が入ってきたことにはかわりがないだろう。飲み食いに使ったのか?」
「え? まぁ……、一部は、な」
 塩沢は質問をしたものの、あまり興味がなさそうな顔をしている。そして、電気湯沸かし器のスイッチを入れに立ち上がると、鏡から塩沢の姿が消えた。
「残りは、実は、買い物しちまった。衝動買い。一階の社長と話し込んでたらさ、ロードバイクの話になって、えらく盛り上がっちゃったのよ。で、ネットで検索してたら、ついポチッとな。購入ボタンを押しちゃって……」
 油井は塩沢がいる辺りに向かって話をしているが、返事がないので話を聞いているのかいないのかも分からない。鏡の中に塩沢が映っていないと、空気を相手に話をしている気がしてしまう。
部屋中にアールグレイの香りが漂ってきた。塩沢は紅茶を作る用意をしているらしく、姿は見えないが、カチャッというティーポットの音や、サラサラという紅茶の葉を入れる音がする。
「これがまた高いのなんの。あ、でも俺が買ったのは初心者向けで、まだ安物の部類だから。―――まぁ、健康のためにと思ってさ。俺メタボだし。これからは毎日自転車で通勤するぜ」
「上で寝泊まりしてるお前が、どこから通勤してくるつもりだ」
 真顔で皮肉を言いながら、塩沢が鏡の中に戻ってきた。
 「まぁまぁ」と答にならない返事をしながら、油井はプリンターのトレイから小山内響子の写真を取り出してテーブルの上に置いた。
「この娘なんだが、メイクでかなり印象が変わるうえに、すっぴんは別人レベルらしい。遠目に撮ると、まったく誰を撮ったんだか分からないって話だ。ま、クロースアップで何枚か撮ってくれば済むだろう。素通りされない様に気をつけて見張ってくれよ。私服のバリエーションの資料はまた後で渡す。後、連れがいたら、一緒に撮っておいてくれよな」
 塩沢はちらとだけ写真を見て、ティーポットの中の紅茶をカップに注いだ。
「ハッキリ写りすぎている写真は、ダメ出しが出るんじゃなかったのか」
「ああ、そうだった。―――アチラさん、多少ピンボケとかシルエットとか、やっと判別出来るレベルの写真が欲しいんだよな。つまんね―話だよな。お前の才能が台無しだよ。―――とりあえず、室田さんに選んでもらうんで、適当に何点か頼むわ。まぁ、また次回に繋がるし、今回はつまんねーのでいいや。よろしく」
「……了解」
 牛乳を少し垂らしたミルクティーを、塩沢はそっと啜った。

(Chapter 2-3へ つづく)

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